シムーン

#最終回 彼女達の肖像

最後の最後で良い感じに期待を裏切られました、素晴らしい。


要するにこの作品は、
アーエルとネヴィリルが、自由に帰結するための話じゃなかったと。
二人が翠玉のリマージョンをして新天地へ辿り着いたとしても、
そこにカナシミは本当に無いのでしょうか?
それは今回久しぶりに登場したリモネ&ドミヌーラを見ても明らか。
彼女等のいる世界が、
自分の理解ではとりあえず今ではないどこかなわけですが(恐らく過去)、
二人とも幸せそうに終わったとはいえ、知り合いがシムーンシヴュラになり、
そして、オナシアさん現象が垣間見れたと。
ここから、アーエル達も一緒で、恐らく幸せを掴めるのでしょうが、
本当の自由を掴めるのかは正直微妙な所だと思うのです。


ということで、この作品で大事なことは、
アーエルとネヴィリルが自由になれる場所にいく事ではなく、
この二人が翠玉のリマージョンをすること自体に意味があったのだと。
それは後半、大人になった彼女等が語っていたことから予想。
彼女等がリマージョンをして別世界に行く。
そして残された者達は、永遠に性別化されない彼女達を、
自由になれる場所にいった彼女達を記憶に残して生活する。
そうすることで、今は大人なのに、
大人になりたくなかった自分を思い出す事ができる。
主体が残されたもの達なはずなのに、
皆の心に永遠に残るのはリマージョンを描いた二人なんですよ。
この構図を作るために、この作品は今まで頑張ってきたんですね。
その点は本当すんげえと思いました。


そこで、あえて批判させて頂くと、
正直リモネ&ドミヌーラのその後も表現されなくて良かったのですよ。
恐らくこの二人を表現しないと、本当に何も謎解きされないまま終わってしまう、
という製作者側の意図だったのだと思います。
しかし、だからこそ客観的に見てる私、というか観賞者側には、
別世界にいった人達にもカナシミがあることが記憶されてしまったと。
知らぬが仏とはまさにこのこと。
知らせないで欲しかったかな(ノД`)


さらには謎解きされない部分が多いという代償も残りました。
よくよく考えたら、
「アングラスがなぜ古代シムーンに乗っていたか?」
の謎なんて触れられてもいなかったし、
公式ブログもお茶を濁してましたし、これはいただけません。


"美しければそれでいい"。
それは悪く言えば逃げの言葉であり、
しかしまた最後を表すのにふさわしい言葉でもありましょう。
恐らくこの作品の感想は、本当に賛否両論分かれるんでしょうね。
どういう思いでこの作品を見ていたかで、色々な感想が見れそうです。
そのなか私は、中立に逃げorz
久しぶりに補足書きたくなる最終回です、はい。
…待ちきれないから、2ちゃんねる行こうかな?(ぉ


ぬあああ、Y野さん!
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